鳥越川・甚内橋・甚内神社 [散策 ◇ 街並み・スポット ◇]
蔵前橋通りの一本南側に、
微妙に曲がった道路がある。
かつて鳥越川が流れていた跡である。
大正末期に、埋められてしまった。
甚内橋遺跡
甚内橋の名は、
近くに、甚内神社があったことからと言われている。
で、その甚内神社
案内板によると、『江戸時代初期の創建。
伝承によると、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、
主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち、
宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。
武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の
治安を乱したため、瘧(おこり)(マラリアのこと)に
苦しんでいるところを幕府に捕らえられた。
処刑されるとき
「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。
我ながく魂魄を留、
瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、
病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。
8月12日の命日は、今も多くの人で賑わっている。』とあった。
そういう訳で、まもなくその8月12日。
大祭のお知らせがあちこちに貼ってあります。
微妙に曲がった道路がある。
かつて鳥越川が流れていた跡である。
大正末期に、埋められてしまった。
甚内橋遺跡
甚内橋の名は、
近くに、甚内神社があったことからと言われている。
で、その甚内神社
案内板によると、『江戸時代初期の創建。
伝承によると、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、
主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち、
宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。
武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の
治安を乱したため、瘧(おこり)(マラリアのこと)に
苦しんでいるところを幕府に捕らえられた。
処刑されるとき
「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。
我ながく魂魄を留、
瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、
病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。
8月12日の命日は、今も多くの人で賑わっている。』とあった。
そういう訳で、まもなくその8月12日。
大祭のお知らせがあちこちに貼ってあります。
コメント 0